呑香稲荷神社は、小保内家が社家として代々が奉仕しています。
何代目ですか? と聞かれることもありますので
まとめてみました。

※新しく情報が入った段階で書き換えることもあるかと思います。

1 小保内 孫次郎定義
 由緒の通り、秋田出身の小保内源左衛門義信が信託を得て遷座となりましたが、
 初代の神職は、源左衛門義信の子の孫次郎です。
 元和6年(1620年)生まれですので、
 天和2年(1682年)の遷座の際は既に60歳を超えており
 京都の吉田社家に学び神職、呑香稲荷の神号をいただいたと伝えられています。
 元禄2年(1689年)逝去

2 小保内 儀兵衛定重
 孫次郎の婿養子で巻堀村の出身。
 孫次郎の嫡男である孫六が幼少だったため、神職を継ぎます。
 元禄2年(1689年)から神職を務めました。

3 小保内 孫六定春
 孫次郎の子でしたが、孫次郎が亡くなった際、幼少でしたので
 しばらくは儀兵衛が務めることとなります。
 貞享元年(1684年)生まれですので、孫次郎が65歳の時の子供ということになります。
 正徳2年(1712年)より3代目を務めますが
 享保13年(1728年)に45歳で亡くなります。
 子供の小太郎が亡くなった年の生まれ(享保13年生)でしたので、
 神職は儀兵衛の子が継ぐことになります。

4 小保内 勘衛門定光
 儀兵衛定重の子、孫六の子の小太郎が幼少のため、神職を継ぎます。
 宝永元年(1704年)生まれですので、
 享保13年時点では28歳、その後、享保17年(1732年)に28歳で亡くなります。

5 小保内 小太郎定継
 孫六定春の子
 享保13年生まれでその時点では勘衛門が神職を継ぎ、
 孫六が亡くなったため、勘衛門の養子となります。
 勘衛門も亡くなり、記録によると享保17年(1732年)4歳で神職を継いでいます。
 勘衛門の兄(儀兵衛定重の子)の太朗兵衛が後見となりました。
 寛保元年に14歳で亡くなります。

6 小保内 儀兵定重
 太郎兵衛の子(儀兵衛の孫)で、小太郎より年上ですが、
 小太郎の養子となりました。
 享保2年(1717年)生まれ、寛保元年(1741年)より神職を務めます。
 娘のか津は、次代神職の大和の妻。
 息子の一人 万治(安永7年生)は江戸に出て、
  金剛舎砂守といい、狂歌師の十哲となります。
  金剛舎砂守については、奉納額にも名前があります。
  万治は、分家して二戸市長を務めた小保内家につながります。
 さらに、息子の一人 治助も分家して、五日町の小岩酒店、橋場の小保内米店につながります。

少し長くなったので、以降はまた別記事といたします。
※簡単な表を追加しました。

歴代宮司図(1)