当社の祭典の際は、伝わる楽を伶人が奏していましたが、
里神楽がありませんでした。
有志がこれを残念に思い、
当時の神職、小保内美作に相談し、
天保3年(1832年)に、盛岡から3名の神楽士を招いて教わりました。

盛岡の多賀神社では盛んに里神楽を行っており
多賀神楽と呼ばれていました。
その社人は多く馬町に住んでおり、
この3名も多賀の神楽社人と思われます。
(明治43年8月15日 奥忠太郎氏奉納「呑香稲荷神社里神楽之紀元」)

大正14年に地元出身の田中館愛橘博士(東京帝国大学名誉教授)、
衆議院議員 柏田忠一代議士の尽力により
帝国議会に
呑香稲荷神社神楽を「神代神楽」と新たに命名して、
神楽保存の費用として一万円の補助を請願しました。

呑香稲荷神社「神代神楽」は国宝的価値ある芸術であると、満場一致で採択されました。

しかし、この国会が解散となり、補助金はいただくことが叶いませんでした。
そして、この時より「神代神楽」と言われるようになりました。

種類は30程あると言われていますが、
すべてが現代に伝わっていません。

言立の資料と、かつて舞われていた神楽を知る人から話を聞くなどして
失われた神楽を取り戻そうと、社人が努力を重ねています。

現在、練習は月に4回。(主として第2・4金土 午後7時から)
神楽社人には、神社や祖霊社の運営にも多くの面で協力いただいています。