当社境内に鎮座する大作神社を紹介します。

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祭神 相馬大作(下斗米秀之進)

相馬大作が処刑された後、
盛岡城内の清水御殿にあった大黒天のそばに
新しい神社が建立されました。
名前を「光孝社」と呼びます。

代々の藩主がひそかに崇敬をしているこの社は
相馬大作を祀った神社です。

「光孝社」という神額は、藩主南部利剛氏の直筆と言われています。

天保10年(1839年)、光孝社は城内の八幡の境内に遷され、
秀之進の兄、平九郎の子である下斗米深(小六)が神官を務めました。
祭日は、9月20日で、
藩主や若殿の誕生日、参勤の出発と着城、
その他お家の吉事には、必ずお神酒等を供えてお祓いされていました。

一方、
相馬大作の弟で、実用流を継いだ田中館圭右衛門は、
大作の遺品の短刀を自宅の庭に祀って相馬神社と呼び、
毎月礼拝をしていました。

維新による廃藩置県などの影響か、
火災によるものか、はっきりとはしませんが、
光孝社は、廃社の憂き目にあいます。

屋敷を引きついた下斗米与八郎が、紛失していた光孝社の神額を発見し、
旧藩主から神号旗二流と御紋章付きの三方を請け、
大正8年から毎年8月29日に例祭を行ってきました。
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(写真は『二戸資料叢書第9集 先人の足跡』より)

その後、昭和6年に
福岡修養団の手で、呑香稲荷神社境内に祀ったのが
今の大作神社です。

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その後、昭和44年に改築され、現在に至ります。

相馬大作の事績については、
数多くの書籍や、映像、はたまた文士劇にもなっています。

当地域では剣道・柔道など、武道が奨励されていますが、
その基礎は相馬大作に見られるのではないでしょうか。

また機会があれば、ご紹介したいと思います。