奉納額紹介、4回目です。
今回は、人物図を中心に。

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鬼退治で有名な渡辺綱(わたなべのつな)
宝暦13年(1763)入江酉松

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こちらも、渡辺綱
文政12年(1829年)丑9月吉日 森蔭画
諸願成就 国分屋亦右衛門 同亦蔵

酒呑童子を退治した渡辺綱は、
源頼光に仕え、大江山の酒呑童子退治や一条戻橋での鬼の腕を切り落とした逸話で有名です。

武者の絵を奉納するのは
子供が健やかに育ってほしいという願いを込めて、ということのようですが、
果たしてどのような願が込められていたのでしょうか。

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俵藤太百足退治図
文政12年(1829年)
田口森蔭画

俵藤太(たわらのとうだ)は藤原秀郷のことで
栃木県二荒山神社から霊剣を授かり、
平将門を討ったと伝えられています。
また、この絵の通り近江での百足退治の逸話が有名です。

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三歌仙図
(詳細は不明)

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武者の絵
天保4年(1833年)巳12月
駒嶺氏 北川口画

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キキョウ 女図
慶応4年(1868年)辰7月3日
願主 七戸 川村作兵エ 
正光画

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山姥図
文化13(1816年)丙子
仙台 東沢画
邨井重吉 古屋治兵衛


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(詳細不明)
青砥藤綱図か?

青砥藤綱(wikipedia)
鎌倉時代後期の武士
ある人が時頼と所領を争ったさい、奉行人たちはその権威をはばかって敗訴としたのを、藤綱は道理を重んじて所領を返し、その人が謝礼に贈った銭をも返した。これによりその公正・剛直が広く知られるようになった。

かつて夜に滑川を通って銭10文を落とし、従者に命じて銭50文で松明を買って探させたことがあった。「10文を探すのに50文を使うのでは、収支償わないのではないか」と、ある人に嘲られたところ、藤綱は「10文は少ないがこれを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。50文は自分にとっては損になるが、他人を益するであろう。合わせて60文の利は大であるとは言えまいか」と答えた。


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こちらも詳細は不明
中国の故事図と言われます。
大東岳貞明画

たくさん紹介しましたが、
まだまだあります。